組織健全化へのアドバイス、保険手続き代行、就業規則作成、人材採用、助成金まで親切丁寧にサポート。杉並区で社会保険労務士なら、社会保険労務士法人 Noppo社労士事務所へ。

会社内で発生するあらゆる「ヒトの問題解決」に強い!

社会保険労務士法人Noppo社労士事務所

「行動分析」に基づく、的確なアドバイスは当法人オリジナルの
定評あるサービスです。
単なる法律論だけではなく、インターネット上や
本では得ることのできない現実的で個別具体的な解決策をご提案し
組織を健全な状態へ導くお手伝いをします。

〒167-0032 東京都杉並区天沼3-27-7長寿庵ビル2F【荻窪駅から徒歩7分】

受付時間:9:30~17:30土日祝日を除く)

電話でのご予約・お問合せ

03-6313-0872

代表プロフィール

養父 真介(ようふ しんすけ)

加入団体等

東京都社会保険労務士会

中小企業福祉事業団(労災特別加入のため)

資格

社会保険労務士

特殊技能

社員の仕事力(能力)を判断し、問題解決への道筋を示す技術

概念化能力開発研究所様が提供する採用アセスメント(応募者の仕事力を判断するための特殊な選考手法)の現場に数年間、百数十人、百数時間に渡って、立ち会わせてもらったお陰で、働く人が持つ「仕事力」というものが何か?また、その仕事力のどの部分をどのように判断すれば良いかを実体験することができました。概念化能力開発研究所さんが提供する「能力診断の精度」と比較すれば、私の人材の仕事力を判断する技術は到底比較にならないものではあるのですが(従って、当法人はその精度の担保のために採用アセスメントを自社で行うことはなく、概念化能力開発研究所様をご紹介しています)、立場上、中小企業経営者から数多くの社員(特に問題行動を起こす社員)に関するマネジメントのご相談を受け続け、その根拠を自分なりに積み重ねてきたことで、問題行動を起こす社員については、ほぼ間違いのない精度で的確で個別具体的なアドバイスができます。本来なら人事コンサルタントが持つべき能力(多くの人事コンサルタントが持っているかと言えば、決してそのようなことはないのですが…)を社労士としてクライアントに提供できる…これにより他の社労士事務所と圧倒的な差別化を図っています。

趣味

現在は、特になしです。

週末は仕事の予定が入らない限り、基本一人娘と朝から晩まで遊んでいます。娘が父親離れした後は、恐らく仕事が趣味になると思います。

◆社交ダンス(一時期は真剣にやりましたが、今はもう・・・。基本的なラテンとスタンダードは踊ることができます。が!一番のネックは悲しいことに運動神経が良くないことと、音感が悪いことですね。身長が高いことは競技ダンスとしてはGOODなのですが、下手だと下手が目立ってしまうのです・・・)

◆山登り(左ひざに爆弾を抱えているのがネック・・・。一時期は山岳会に加入していたことも。その頃は「山に行って呑む!」が至上の歓びでした。最近は高尾山ぐらいしか行ってないですが、子供と時間を見つけてまたのんびり行きたいですね)

経歴

1977年4月福岡県飯塚市生まれ、大阪府高槻市育ち
1998年11月学生生活を満喫中に、後ろ髪を引かれつつ付き合いを一切やめて資格取得を目指したため(ボランティアのサークル活動にはきちんと参加)、変人扱いを受けつつ(遊びたい人は自分を正当化したいですからね・・・)、ほぼ独学で社会保険労務士資格を取得する。

1999年4月~

(1年間)

1998年の大みそかに「大学時代にやり残したことはないか?」と思案していたところ、突如「外国人と交流していない!」と思い立ち、大学を1年休学し、半年間の語学留学へ!と期待を胸にしていたものの、西海岸(サンディエゴ)は駅前留学状態・・・。意を決し、応援してくれていた母親に申し訳ないと思いつつ語学留学を1か月で切り上げて、バックパッカーに。サンディエゴからニューヨークまでグレイハウンドバスで横断し、その後、イギリスへ渡り、トルコに辿り着いたところで社会復帰(就職活動)をしたいと思うに至る。帰国し、一部上場の製造業に内定を決め、「まだ発展途上国に行っていない」ということで、タイ・ラオス・カンボジアを1か月かけて巡る。
2001年4月一部上場の製造業に入社 約8年弱の間、民間や官公庁への正に「泥臭い」営業と理不尽な上司と組織における身の施し方を経験する。
2008年11月

Noppo社労士事務所をリーマンショック直後に設立。大学時代に介護・福祉業界に大きく関わるサークルに4年間所属していたことがキッカケで、開業後すぐに介護に特化した事業展開をし、現在に至る。

(現在は顧問先の6割弱が介護・福祉業界のクライアント)

代表ごあいさつ

はじめまして!代表の養父(ようふ)です。

社会保険労務士法人Noppo社労士事務所の代表をしております養父(ようふ)と申します。変わった名前ですが歴とした「姓」です。

 

介護に強い社労士事務所ではありますが、クライアントは、私がメーカー出身ということもあり製造業、その他にも学校、商社、小売り、不動産、飲食、アパレルなど多岐に渡っています。

 

業務としては、一般的な社労士事務所と同様に、社会保険・雇用保険の入退者手続きから就業規則・労働契約書・協定類の作成、助成金の提案・申請などを行っています。

 

大きな特徴として、「社員の行動を把握、その特性を分析した上でアドバイスを行っている」ことです。実際に私自身が相談をする立場に立ったときにいつも思うことは、「できればこちらの状況をきちんと把握した上で、話をしてくれるのであれば、とても助かるのに…」ということです。

 

各クライアントから似たような相談がありますが、どれ1つとっても同じ答えを伝えることはできません。それは、その組織の状態、経営者の個性、従業員の個性が何1つ同じである企業などないからです。

 

そして、私は開業以来「どうすれば、企業や人が変わることができるのか?」ということを追求してきました。「人が変わる」ことに関しては、開業前から関心が高いテーマでもあり、またその中で変わる自分と変われない自分も何となく自覚していました。

 

その中で出会ったのが、概念化能力開発研究所の奥山氏が提供するアセスメントセンターメソッドです。

 

元々、このアセスメントセンターメソッド自体はアメリカ発祥のものなのですが、奥山氏自身が十数年にわたる1万人以上の膨大な人材(採用)アセスメントの臨床に基づき、「質的生産性の高い(価値や収益を生み出せる)人材が持つ能力」を人間がもつ能力のうちから最大公約数的な尺度で抽出しました。それがキーポテンシャルダイヤモンド®という、生産性の高い仕事をする人が備えている「仕事力」体系です。

 

           キーポテンシャルダイヤモンド®は奥山典昭氏の登録商標です

キーポテンシャルダイヤモンド®は「4つの核たる能力」によって構成されており、この能力群の有無や高低によって人材がどのような行動を取るのか、そしてその行動が組織にどのような影響をもたらすに至るのか…ということに関して、私自身が日々クライアントから持ち掛けられる労務相談や自事務所の採用活動を経て、数多くの実例を得てきました。また、クライアントが実施する採用アセスメントにも数年・百数十時間をかけてこの目と頭で体感してきました。

 

この軸を用いて、組織をどのようにすれば健全な状態にもっていけるか、特定の問題がある人材についてどのように会社として対応していけばいいのか、などを法律論ではなく、組織に所属する人材の行動を細かく把握し、個別の具体論をもってアドバイスしています。

 

経験上、どの組織も「人材の悩みなどない」というところは殆どありません。「殆ど」と言って良いほどです。経営者が絶えず抱える「人材に対する悩み」を共有し、希望をもつための一手を共に考える・・・これが当事務所のスタンスです。

なぜ社会保険労務士になったのか?

こちらでは、社労士になったキッカケをお伝えしていきたいと思います。

原点は『阪神淡路大震災』まで遡ることになります。

TVに映る震災の現場を見て『現地に行って自分にできることはないか』と心が動いたことが全ての始まりでした。

しかし、それまで自ら行動を起こそうとしたことがなかった私はどうしたら良いのかわからず、結局何も行動を起こすことができなかったのです・・・。

『一歩を踏み出す勇気』がそのときはまだありませんでした。

ただ、その火種は自分の中で燻り続けていました。そして、京都産業大学へ進学。大学にはボランティアとしては珍しく、「クラブ」としてボランティアのサークルがありました。

私は迷わず!(と言いたいところですが、若干やましい心がテニスサークルへ導こうとしておりました・・・が!)、そのクラブへの入部を決めました。

クラブ名は『新社会ボランティアサークル』。

このクラブでは、先輩・同輩・後輩に恵まれた大学生活を送ることができました。

一部の仲間は、介護福祉業界に魅かれ、卒業後、その業界へ舵を切った方もいました。

その中で私は・・・

 

『折角ご縁のあった介護福祉業界という分野を外からサポートすることはできないか』
 
『法律をベースにサポートすることはできないか』(法学部に所属しておりましたので)
 
『この【相談】ということを一生の仕事にできないか』(このクラブで出会った友人たちとの相談に乗っているうちに・・・)

「自分には何も特技がない。社会に出てからの強みが欲しい」(この当時は自分が持つ本当の長所を認識できず、”自信”が欲しかったのでしょう)

 

と考えたのです。

このテーマで探し続けていると・・・
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社会保険・労働保険の手続き代行だけではない、今後はクライアントに対して

親身になって相談に応じる『心の相談家』 としての業務が大きなウェイトを占めてくる 、

それが『社会保険労務士』だ!
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というある法律専門学校の宣伝文句が目に飛び込んできたのです! 


私は直感で『これだ!』と決めました。
○阪神淡路大震災
○新社会ボランティアサークル
○人と心への興味

どれか一つが欠けても、私はきっと社会保険労務士になろうとは思わなかったでしょう。

この3つの偶然の繋がりが私を社会保険労務士への資格取得へと導きました。どれも偶然といえば偶然でしょう。でも、『縁』があったのは間違いありません。そして、その中で少しずつ『一歩踏み出す勇気』を養っていったのです。

 

私が社会保険労務士になることを決めてからは、受験時代にも一切見せたことがないほどの猛勉強、そして集中力でした。何事もキッカケというものは大切だと改めて認識させられます。

クラブ・講義は休まず、アフター(遊び・呑み)等の甘い誘惑を振り切りました(仲間からは養父がおかしくなったと言われ・・・) 。

 

「9ヶ月間」


無謀でしたが1日も休まず勉強を続け、ほぼ独学で奇跡的に合格。(LECさんの自習室には大変お世話になりました)

 

「そのままの勢いで独立開業!!」といきたいところでしたが、短期で受講した講座の社会保険労務士の方に相談したところ(基本的に、手堅く慎重です)、『専門バカになるより、まずは大手企業で社会人としての経験を積んだほうが確実に良い!』という言葉を真に受けて(意外と素直なんです)、一部上場の製造業へ就職(阪神淡路大震災との関係もある会社で、勝手に縁を感じてました)。

 
そのメーカーでは、新人営業としては初めて開設したばかりの支店へと配属。しかも!最初の上司は6ヶ月で退職。その次に着任した上司は年齢も 40代と私と20歳も離れており、加えて前の上司とは水と油の違いもある性格の持ち主の上司。もちろん水と油の『油』のほうで、いわゆる”スパルタ上司”。週に1~2回の雷。本当に『雷』という表現が適切!と思えるほどの怒りっぷり。

  通常は、10分とか長くて30分とかだと思いますよね?これがまた普通では無い。平均して90分はいっていたと思います。最長3時間!最初の1時間はミスに対する叱責。その次の2時間は過去のミスに対する追及。そして最後の1時間は傾向と対策・・・。まぁ、3時間も説教できるのはこの上司ぐらいなもんじゃないでしょうか?(同じことを繰り返すので、”非生産的”とも言われていましたが…)

 

それを「丸2年」。間違いなくここで精神力が鍛えられました(まぁ、しかし、僕の中では、いくら何を言われても「僕は僕や」と思っていたから良かったものの、そうはならない人は極度の鬱になるかもしれません。残念ながら現代では全く通じないマネジメントでしょう)。

 

その期間中、再び社会保険労務士への思いが再燃したのですが、仕事も一人前にできていない、周囲からも一目も置かれていない、営業ノルマも達成できていない・・・というないない尽くしのこんな状況で独立したからといって、お客さんに満足できるサポートをできるわけがない!と踏み止まり、それからは余計なことを考えず仕事に没頭しました。


 
業界・会社ともに右肩下がりの中、覚悟を決めて取り組んでからは人間関係や工場との関係が全てにおいて少しずつ好転していきます。

 

今思えばあの2年間が無ければ、考え方の甘かった私が更生されることは無かったことでしょう。 最後にその上司から『お前の心臓には毛が生えている!』とまで言わせた結果は良しでしょうか。。(実際はそんなことはなく、心は繊細なほうです)

 

その上司と離れ離れになったあとは、東京へと転勤となり、次の上司には認めてもらうことができ、全てを一任してもらうことに。

 

『養父、お前に任せるから』という言葉は今でも忘れられない重くも温かい言葉です。


 
その後、本当に一からの新規顧客開拓も経験し、テレアポ・飛び込み・ダイレクトメールも勝手に体験。

 

当時作成していた手書きのニュースレター。すべて手書きのため手間が掛かりましたが、印象度は抜群でした。このニュースレターのお蔭で3000万の受注に結び付いたことも!!

また、独自にニュースレターを作成し、顧客に対して配布。どうすれば顧客に満足してもらえるか試行錯誤の連続でした。

 

その中でもずっと消えなかった気持ち、それが

「人に喜ばれる仕事がしたい」

という心から渇望する「思い」でした。

 

当然、営業をしていたので、お客さんから喜ばれることもあります。ただ、何か違う・・・

 

世の中が価格競争に傾注してきていて、人間関係や営業努力で受注できる時代ではなくなってきていました。また、お客さんのためと思って、製品を作っている工場を動かそうにも、どうしてここまでご機嫌伺いをしなければ機嫌よく動いてくれないのかという疑問を拭えずにいました。そして、何のため、誰のために働いているのか本当に分からなくなってきていたのです。

 

その葛藤を抱え、まるで「深海をずっと歩いている」ような感覚でした。

 

大手人材紹介会社に登録しに行ったこともありました。

大学時代に4年間力を注いだことが介護・福祉であったことから、大手介護施設にマネージャー候補の試験を受けに行ったこともありました。

 

その中で、ふと立ち止まり、「自分って本当に何がやりたかったのだろうか・・・?」と思い巡らせていったときに再び脳裏に浮かんだものが「社会保険労務士」だったのです。

 

「そうだ。僕は、社会保険労務士が本当にしたかったことだ。資格を取得したのはもう十数年も前の話だけど、原点はここだ。それも3度目の正直だ。ここまで思いを持っているのだから、開業する資格は十分にあるはずだ」

 

経験もノウハウも一切ありませんでしたが、意欲だけはギラギラと燃え、スイッチが再び入ったのです。そこから、知識をブラッシュアップし、情報収集を積み重ね(元営業マンの習性です)、開業への道のりをひたすら走っていきました。

 

家族も含め周囲は止めました。当然です。金も経験もコネもなく、2度目とは意味の異なる「ないないづくし」での開業でしたし、世は寒風吹き荒ぶリーマンショックの直後でしたから。。

 

今思えば、全くの世間知らずで周りが見えていなかったのと思うのですが、それ以上に心が「自分の努力次第で人からダイレクトに喜ばれる仕事」を求めていたのでしょう。そこにどんな仕事があるかどうかも全く分かっていなかったにも関わらず・・・。

 

しかしながら、捨てる神あれば拾う神あり。たまたま講習で名刺交換をさせて頂いた同業の先輩、昔、自腹で自らの営業力を鍛えるために通っていたマーケティング塾時代に同じく名刺を交わしていた経営者の方と接点ができ、道が開けていったのです。あの頃は、藁にもすがる思いでしたが、必死な思いがあったからこそ伝わったのだと思います(シビアな経営者でしたので、利害も当然一致していました)。

 

開業から自分の中で揺るぎない自信をつけるため3年間は無休を貫き(風邪で2日ほどのダウンはありましたが)、開業初年度から自分の(恐らく他人も)予想を大きく上回るほどの契約と売上を達成できたのも、ある意味「時代を読まなかったから」だと思います。ガムシャラに契約を取ったためにたくさんの損や痛みも味わいました。しかしそれも、すべて今のコンサルティングに生きています。

 

そして、何より念願だった「人からダイレクトに喜ばれる仕事」。

 

「そんな仕事がこの世にあるのか・・・」と悩みぬいた過去の自分に伝えてあげたいです(苦しい思いをした過去に決して戻りたくはありませんが・・・)。

 

「求めればきっと辿り着けるよ」と。

 

社会保険労務士の業務を衰退だの求められていないだの面白くないだの不平不満ばかりをいう人も中にはいますが、真っ当で健全な経営者をこの広い世の中から探し出し、適切で心の通ったサービスを提供すれば間違いなく喜ばれる仕事です。それを実感できるからこそ、飽きっぽい私が飽きもせず、続けることができています(職員のお蔭なんですけどね)。この仕事が面白くないという人は、つまり「人が面白くない」「人と関わりたくない」と言っているのと同じことですから、どんな仕事をしてもタカが知れているでしょう。

 

誰に相談したら良いか真に困っている経営者の方々に、「望まれる個別支援」を提供していくこと。どんな時代の変化があろうともこの姿勢だけは自分の思い(初心)を失わないためにも守っていきたいと思います。

養父 真介